かつての日本の社会(会社)は、女性を労働の主体者としては見ていませんでした。
多くの男性は、女性を“性”の対象として見ていました。
具体的には、女性の(に)
体をさわる。
性的発言をする。
交際をせまる(結婚相手・不倫相手)。
セックスを求める。
などです。
私が知っている会社では、社長自らが、女性社員と男性社員を結婚させようと、画策していました。
社長は善意のつもりかもしれませんが、当事者(女性)は大迷惑です。
(この社長には、女性が迷惑を感じていることが理解できない・・・)
こういう会社では、良識のある人は辞めていきます。良識のない人、社長の意見に同調できる人だけが残ります。
結果的に、おぞましい光景が・・・・
こういう風潮が、少しずつは変わってきているみたいですが、依然として、昔ながらのセクハラ会社は、厳然と存在するのです。
このたびの都議会でのヤジは、(ひろし)的には、
いまだに存在する時代遅れのセクハラ会社そのもの、また、そういう土壌から選出された代表者という感じです。
そういう(セクハラ)議員が当選するということは、
そういう(セクハラ)会社(人間)が、
ゴマンとある(いる)ということなのです。
(つづく)
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